====== MUSER ライブハウス インタビュー ======
スポットライトのあたるステージの裏側の世界。
ライブハウスを運営しているスタッフの方へのインタビューを通して、
この世界に飛び込んだきっかけや、考えていることなどを紹介していきます。
お店の顔が見えてくると、そこで繰り広げられる音楽の世界がより面白くなるような気がしませんか?
第6回は、下北沢440の店長 平林良浩さんにインタビュー!
こんにちは。今日はよろしくお願いします。
まずは、平林さんのご出身や音楽との出会いのところから聞いていきたいと思います。
愛知県出身で、岐阜との県境に流れている木曽川の近くで生まれ育ちました。江南市という田舎町です。
楽器を始めたのは小学校の時、親が習わせたいというのでクラシックピアノをやっていました。でも先生が来た時にしか練習をしないというような感じで、全然上達しなくて。全然面白くないと当時は思っていましたね(笑)
中学からギターを始めて、そこから楽器を弾くことにのめり込んでいきました。当時は X JAPAN やLUNA SEAが好きで一日中弾いていました。それから自分で作曲を始めてみたり。中学終わりから高校くらいはコピーバンドを組んで活動したりしました。
ピアノ、ギター、作曲、バンド活動。音楽がずっと身近ですね。高校のあとはどうですか?
高校生の時、作った曲の楽譜を音楽の先生に見せたりしていて。すると「曲とか書きたいんだったら先生紹介するよ」と言われ、母校となる愛知県立芸術大学の先生を紹介されたんです。そこから音楽の基礎理論を勉強し始めて、やっていくうちにどんどん面白くなってきて、もっとガッツリ勉強しようと思いました。クラシックや、コード理論、複雑な作曲手法などを勉強しました。
大学卒業後は、その流れで“音楽の道”“東京”に行こうという感じでしたか?
いわゆるプロのミュージシャンを目指すために、バイトをしながら活動をする。ではなくて、普通に仕事しながらでもやりたいことはできるのかなと思っていました。当時のバンドが名古屋で活動するという意向だったこともあり。
大学卒業後は、愛知で就職。3年くらい働いて、東京には転勤という形で来ました。前の仕事は大手塾が経営している学校の先生でした。幼稚園ぐらいの子供たちと遊んだり勉強したりという感じですね。音楽の教員免許を持っていたので、ピアノやギター、作曲も活かせるかなと思っていました。
でも愛知県の江南市ってめちゃくちゃ田舎なんで、ずっと東京って良いなという思いはあって。観たいライブとかも大体東京ですし。そんな時に東京校に異動できるか相談してみたら行けることになり、そこから東京に来ました 。それが25歳くらいの時でしたね。ずっと住みたかった下北沢に引っ越しました。そこから東京の学校では2年くらい働きました。
最初に住んだのが下北沢というのはラッキーでしたね!
440との出会いや、どういう経緯で働くことになったのでしょうか?
上京して一番はまっていたのは、おおはた雄一さん。
行けるライブは全部行ってましたね。週3とかで。また来たのみたいな感じでした(笑)その一つがここ440で、深夜12時くらいスタートのセッションイベントがあったんです。ドリンクチャージだけで入れるような感じで。その時にハナレグミやコトリンゴさん、wacciのみなさんと朝までセッション。ステージ使わずに、フロアにアンプや機材を置いてセルフでやっていて、何て面白いことしてるお店なんだろうと強烈な印象が残りましたね。
そこで、当時の店長に働かせてとお願いしました。最初はただのホールスタッフでした。飲食店も初めてですし、ちゃんとしたアルバイトも初めてで。それが27歳くらいの時です。親とか色んな人に心配されてたりもしたんですけど(笑)今思えば思い切った決断でしたね。ここが10周年の時に入ってちょうど今年20周年になります。
440にはホールスタッフから入って10年になりますが、振り返ってみていかがですか?
440での10年間を振り返って、自分がここに入る前に聴いていたような人と一緒に仕事をしているという状況は想像もしていなかったので嬉しいですね。ここに入るきっかけとなった、おおはた雄一さんも去年の12月に4Daysライブをやってくださって。一緒に内容を相談しながら準備を進めていき、映像を撮って配信なども出来たことはすごく楽しかったです。 Salyuさんや安藤裕子さんにも440でライブしてもらいましたし。去年は夢みたいなことがすごく多かったですね。今、個展とライブイベントを開催している絵描きの近藤康平さんとの出会いも大きかったです。昼のカフェ時間を利用して個展をしたり、夜はミュージシャンとコラボするライブイベントを企画したり。440に新しい流れを一つ作れたかなと思います。家族や仲間も驚いていますし、喜んでくれていると思います。そういう意味では順調過ぎる10年間かもしれないですね。

コロナ禍の変化の一つにライブ配信がありますが、どう取り組んでいますか?
コロナ禍に入った2020年の4、5月から一気に勉強して機材を揃えて、出演してくれそうなアーティストをよんで、無観客のYouTube配信から始めました。
配信をやっていくうちに面白くなってきた感じで、映像の業者やカメラマンなどは一切呼ばず、“ライブハウスのスタッフが作る映像”っていうのを軸にしました。みんながいろんなことに興味を持てることは大事ですよね。
この店は受付やドリンク、キッチンなど、それぞれ決められた仕事だけをやるのではなくて、やりたいならブッキング、照明、音響など、できるチャンスはあるよっていう発想なので、そういうスタンスは元々あったかもしれないですね。
最後に、平林さんご自身や440というライブハウスが大切にしていることを教えてもらえますか。
僕は、なるべくアーティストが好きに、自由にできるよう、サポートしてあげたいと思っています。 時間は60分一本勝負でやってもいいし、3時間でもいいし。この人と一緒にやりたいですって相談されたら、もちろん声もかけます。アーティストが最大限やりたいことができるよう、雰囲気作りをしたいなというのがあります。
それと、最近すごく思うのは、ブッキングやイベント制作は、遊ぶ約束をするのに似てるなと思っていて。誘われた人がワクワクするような時間と場所を用意する、みたいな。だからアーティストともよく話をさせてもらいます。アーティストがワクワクしていれば、お客さんも自分の好きなアーティストがワクワクしてるな、これは見に行かないと。となるので、そこを一番大事にしています。仕事帰りに面白いライブを見て、お酒飲んで帰って、また明日から頑張ろうみたいな。日常にフラっとライブハウスに行こうっていう要素をこれからもつくっていきたいですね。
【440HP】
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